竹中平蔵の経歴。天下りの数がヤバい銀行出身の経済学者!

元経済財政担当相で、経済学者の竹中平蔵氏を取り上げます。

竹中平蔵氏は、歴代総理を支えた銀行出身の経済学者です。

おばねこちゃん

経歴が気になりすぎる。。。

今回は、竹中平蔵氏の経歴を調査します!

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目次

竹中平蔵wikiプロフィール

初めに、竹中平蔵氏のwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:竹中 平蔵(たけなか へいぞう)
  • 生年月日:1951年〈昭和26年〉3月3日
  • 年齢:73歳(2024年11月現在)
  • 出身地:和歌山県和歌山市
  • 学歴:一橋大学経済学部

履物屋『竹中履物店』の次男として誕生。裕福な家庭で育ちました。

親族に経営者も多く、叔父は和歌山でメガネ屋を経営、兄はミサワホーム社長の竹中宣雄氏です。

おばねこちゃん

そっくりやん。

和歌山県立桐蔭高等学校を経て、一橋大学入学を機に上京。

大学ではマンドリンクラブで指揮者を務めながら、プロの奏者から打楽器を習ったり編曲を行い、音楽家を目指していましたが断念。

「一生懸命働く人が報われる社会にしたい」と経済を学ぶため、国際経済学の山澤逸平ゼミに所属。経済学部を卒業しています。

竹中平蔵の経歴。天下りの数がヤバい銀行出身の経済学者!

竹中平蔵氏の経歴は、以下の通りです。

  • 日本開発銀行
  • 研究者
  • 小渕政権
  • 森政権
  • 小泉政権
  • パソナ
  • 安倍政権

一つずつ見ていきましょう!


日本開発銀行

大学卒業後、日本開発銀行に入行。

きっかけは、日本開発銀行の設備投資研究所で、初代所長を務めていた下村治氏に憧れていたためでした。

1977年には、設備投資研究所に勤務。

1981年に、ハーバード大学ペンシルベニア大学客員研究員として、設備投資に関する合理的期待の実証研究を行いました。

1982年、大蔵省財政金融研究室に出向し、次席主任研究官に就任。

のちの大蔵省関税局長・長富祐一郎氏に気に入られ5年間研究官を務めました。

経済学者で元大蔵・財務官僚の高橋洋一氏は、この時の部下の一人だそうです。

1984年には、アメリカ留学中の研究成果をまとめた著書『開発研究と設備投資の経済学』で、サントリー学芸賞を受賞。

1989年、日本開発銀行を退職しました。

研究者

1987年、大阪大学経済学部助教授に就任。

1989年、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いで、ハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任。

1990年、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任。

1993年にアメリカ合衆国に移住し、同年に出版された小沢一郎の日本改造計画の執筆に参加。

コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールにある「日本経営研究センター」の客員研究員に就任。

1994年、大阪大学にて博士(経済学)の学位を取得。

1996年に帰国し、同年慶應義塾大学教授に就任。

1997年、日本船舶振興会(現日本財団)の交付金で設立された基本財産397億円のシンクタンク「国際研究奨学財団(現東京財団)の理事に就任。

1998年に同常務理事、1999年に東京財団理事長に就任。

1998年に同財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」は、実質竹中氏による政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かれました。

その他、

日本興業銀行経営アドバイザー、フジタ未来経営研究所(日本マクドナルドのシンクタンク)理事長、アサヒビール社外取締役を歴任。

また日本興業銀行経営アドバイザーや、フジタ未来経営研究所(日本マクドナルドのシンクタンク)理事長、アサヒビール社外取締役を歴任した。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5

竹中氏は、日本マクドナルドの株式を未公開当時から1500株保有。その後店頭公開で巨万の富を手にしたと報じています。

日本マクドナルドの株式を未公開当時から1500株保有。2001年(平成13年)7月の店頭公開で巨万の富を手にした。「濡れ手に粟だ」と批判されている

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5

おばねこちゃん

スキームができてるから、ウハウハですね!

小渕政権

1998年7月、小渕内閣の経済戦略会議の委員に就任。

学者グループの一員として、日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言。

森政権

新規に設置されたIT戦略会議で委員を務め「e-Japan構想」に対しさまざまな提言をしています。

e-Japan構想

e-Japanとは、すべての国民が情報通信技術を活用できる環境を整えることを骨子として日本政府が2000年に策定した、日本型IT社会の実現に向けた構想。

e-Japanは、2000年9月の森喜朗首相(当時)の所信表明演説において発表された。5年以内に世界最先端のIT社会を目指すことを目標に掲げ、超高速ネットワークインフラの整備、電子商取引の制度基盤や市場ルールの整備、電子政府の実現、人材育成を重点政策とした。

小泉政権

2001年第1次小泉内閣で、経済財政政策担当大臣とIT担当大臣に就任。

2002年の第1次小泉第1次改造内閣で、経済財政政策担当大臣として留任し、金融担当大臣も兼任。

竹中氏は、金融機関の再生を目指した政策案、「金融再生プログラム」を作成。

金融再生プログラム

2002年10月、小泉政権で当時の竹中平蔵内閣府特命担当大臣(金融担当)が作成した日本の金融機関(特に銀行)の再生を目指した政策案のこと。通称「竹中プラン」と呼ばれ「主要行の不良債権問題を通じた経済再生」が主軸。

2003年、第1次小泉第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融、経済財政政策を担当。

2004年7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党比例代表で立候補しトップ当選。

同年9月、第2次小泉改造内閣で、参議院議員として内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、郵政民営化担当大臣に就任。

小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜する。

聖域なき構造改革

聖域なき構造改革は、小泉純一郎が掲げた経済政策スローガン。

郵政民営化、道路関係四公団の民営化、政府による公共サービスを民営化などにより削減し、市場にできることは市場に委ねること、いわゆる「官から民へ」、また、国と地方の三位一体の改革、いわゆる「中央から地方へ」を改革の柱としている。

2005年9月、第3次小泉内閣においても役職はそのままで再任。

同年10月、第3次小泉改造内閣で総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。

NHKの完全民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為頓挫。

2006年9月、任期を4年近く残し政界を引退しました。

引退した理由は「政治の世界は権力があり怖い、政治の世界に長くいると貸し借りに縛られてしまう」と思ったからだとか。

政治の世界というのはやはり怖いと思うんです、権力があるから。それともう一つはたくさん貸し借りがある。政治の世界に長くいると、貸し借りに縛られてしまうと思ったんです。 

引用:文春オンライン

さらには、「職業政治家になりたいと思ってなったわけではなく、小泉総理に一緒に手伝ってくれと言われ、目的が終わったので辞めたとのこと。

もともと私は、職業政治家になりたいと思ってなったわけではありません。小泉さんという非常に異色の総理に「一緒に手伝ってくれ」と言われたので、サッカーのレンタル選手みたいな立場で政治の世界に行きました。だから、一つの目的が終わったら元の学者に戻るというだけのことです。

引用:文春オンライン

同年には、慶應義塾大学総合政策学部の教授に就任。

さらには、

同大学グローバルセキュリティ研究所所長、日本経済研究センター特別顧問、同センター研究顧問、森ビルのアカデミーヒルズ理事長、関西大学会計専門職大学院の客員教授に就任。

小泉政権後は、慶應義塾大学総合政策学部の教授 のほか、同大学グローバルセキュリティ研究所所長、日本経済研究センター特別顧問、同センター研究顧問、森ビルのアカデミーヒルズ理事長、関西大学会計専門職大学院の客員教授を務めている

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5

おばねこちゃん

天下りの数が、えげつない。。。

パソナ

また、2007年には人材派遣業パソナの特別顧問を経て、2009年に取締役会長に就任。

パソナ就任は南部靖之代表から「一緒に労働市場を良くしていきましょう」と打診されことがきっかけだそうです。

パソナ

株式会社パソナは、人材派遣事業などを展開している企業。パソナグループの完全子会社であり、同グループの中核企業。

派遣会社は、正社員が派遣社員に置き換わった方が派遣する労働者が増え、より多くの中間マージンを得ることができ儲かるしくみです。

改正派遣法後人材サービス会社は、雇用の気鋭緩和や公共サービスの民間委託の流れを受けて事業を拡大しています。

竹中氏は「正社員をなくしましょう」と、「経済成長を優先するために、非正規雇用を増やした方」として知られています。

正社員は特権を持っていて、その特権は1979年の東洋酸素(現・日本酸素)事件における東京高等裁判所の判例によって守られていて、正社員というのは首をほとんど切れないことになっています。そうすると企業にとってみると、これは固定費になります。固定費が大きくなるのは耐えられないので、その高裁の判例が適用されないような部分について非正規社員を増やしてきたという意味で、二重構造になってる引用:文春オンライン

そのため、竹中氏は政商(政府や政治家と結びついて特別な利権を得ている商人や企業を指す言葉)と指摘する声もあるようです。

元来、派遣という雇用形態は、賃金の中抜き(中間搾取)や雇い主の責任が曖昧となることなどから厳しく規制されていた働き方でした。それが1985年に派遣法が成立し、大幅な規制緩和をし続け、今に至っているわけです。この派遣法を改正してさらに規制緩和しようという議論に、派遣会社の取締役会長が加わっているのですから、利益相反は誰の目からも明らかです。

政府も利益相反なのだから選ばなければいいのにと思いますが、何故か彼は選ばれ続けます。

そして、彼自身も辞退をしません。この点で、彼を政商と指摘する声もあります。

引用:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/02fcd0eccd5ec9d916630daee71d774810a1f636

ですが竹中氏は、個別企業の利益のために政策を誘導したことはまったくない」と述べています。

パソナではリーマン・ショック後の就労支援や、農業人材の育成など「雇用をつくる仕事をした」そうです。

 政府の会議では雇用制度の見直しも訴え、人材サービス会社側の利益になったのではないかと指摘も受けた。竹中氏は朝日新聞の取材に対し「雇用をつくる仕事をした。個別企業の利益のために政策を誘導したことはまったくない」と述べた。

引用:https://www.asahi.com/articles/ASQ9J6KRNQ9CULFA004.html

また、「正規と非正規の差別」は社会保障の議論が置き去りにされているためで、第一次安倍内閣で議論できなかったことが敗因としています。

2022年8月には、パソナグループの会長を辞任しました。理由は、コロナが落ち着いたことや自身の年齢を踏まえてだったようです。

ちなみにYouTube動画「Re:Hack」では竹中氏は、パソナの株は少し持っていると語っています。

共演したひろゆきさんは、8400万円ほど保有していると暴露されていました。

安倍政権

2013年1月第2次安倍内閣で、日本経済再生本部の「産業競争力会議」メンバーに。

2014年1月からは、内閣府に置かれた国家戦略特区の特区諮問会議メンバーとしても、活動。

同年1月6日、田原総一朗、宮内義彦ら共に、NPO法人の万年野党を設立。

2015年には、オリックス社外取締役及び新生ホームサービス株式会社特別顧問に就任。

2016年に、慶應義塾大学を定年退職しました。

その後は、

東洋大学国際地域学部教授及び同大学グローバル・イノベーション学研究センター長、SBIホールディングス社外取締役、RIZAPグループ経営諮問委員会委員に就任しています。

2016年(平成28年)、慶應義塾大学を定年退職し、東洋大学国際地域学部教授及び同大学グローバル・イノベーション学研究センター長、SBIホールディングス社外取締役。また、藤田勉一橋大学特任教授の誘いで、RIZAPグループ経営諮問委員会委員に就任

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5

おばねこちゃん

また、天下ってる?

お読みいただきありがとうございました。

今後の益々のご活躍をお祈りいたします。

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