【経歴】砂川啓介は初代体操のお兄さん!身体能力がすごかった!

「ドラえもん」の声の声優で俳優の大山のぶ代さんが、老衰のため先月死去していたことが報じられました。

その大山のぶ代さんの夫が、砂川啓介さんです。

おばねこちゃん

おしどり夫婦で有名でしたね

大山のぶ代さんは、ドラえもんの役を退いたあとの2008年に脳梗塞を発症し、その後認知症を患いました。

退院後は、自宅で砂川啓介さんが介護をしていたといいます。

今回は、大山さんの夫・砂川啓介さんについて調査します!

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目次

砂川啓介wikiプロフィール

初めに、砂川啓介さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:砂川啓介(さがわ けいすけ)
  • 生年月日:1937年〈昭和12年〉2月12日
  • 年齢:享年80歳(2017年7月11日没)
  • 出身地:東京都江東区深川

【経歴】砂川啓介は初代体操のお兄さん!身体能力がすごかった!

経歴についてですが、

  • 1954年:『足摺岬』
  • 1961年:『うたのえほん』初代「たいそうのおにいさん」で大ブレイク!
  • 1966年:『おかあさんといっしょ』に改名され、1969年まで8年半にわたって出演
  • 1980年:『お昼のワイドショー』で6年間司会
  • 1988年:本の出版
  • 2015年:介護
  • 2017年:夫婦の晩年

一つずつ見ていきましょう!

足摺岬

成城高校在学中に『足摺岬』など、社会派映画に出演。

その後、1955年に早稲田大学文学部に入学しましたが、半年で中退。

演技の基礎を学ぶため、江口舞踊研究所へ入所して本格的にモダンダンスの指導を受けました。

初代体操のお兄さん

そして、1961年に『うたのえほん』の初代「たいそうのおにいさん」として大ブレイク!

体操をしながらの連続ジャンプ15回はお見事です!

おばねこちゃん

大学辞めて、モダンダンスを始めて大正解!

おかあさんといっしょ

同番組は1966年に『おかあさんといっしょ』に統合され、1969年まで8年半にわたって出演しました。

大ブレイク中の1964年に、孫悟空の舞台での共演が縁で大山のぶ代さんと結婚。

子女には恵まれず、第1子と第2子を亡くしています。

お昼のワイドショー

1980年からは、『お昼のワイドショー』で6年間司会を務め、俳優、タレント業、舞台演出、ラジオパーソナリティー、講演活動など多方面で活躍しました。

本の出版

おしどり夫婦としても知られ、1988年に出版した料理本『啓介・のぶ代のおもしろ惣菜170』は、100万部を超えるベストセラーとなりました。

1991年には続編『啓介・のぶ代のおもしろ酒肴』も出版されています。

2001年には、エッセイ本『カミさんはドラえもん』を出版。

2015年には『娘になった妻、のぶ代へ』を出版。

おばねこちゃん

数々の著書にあるとおり、おしどり夫婦っぷりがよくわかりますね!

介護

2015年には、のぶ代さんが認知症を患っていることを公表。

砂川さんは家政婦とともに、のぶ代さんを自宅で介護していました。

ですが2016年4月、砂川さん自身が尿管癌となり、治療に伴いのぶ代さんは老人ホームに入所。

夫婦の晩年

砂川さんは2017年5月に肺にたまった水を抜くために入院。退院4日後の6月13日、連絡がつかないためマネジャーが自宅に行くと意識を失った状態で倒れており、救急搬送され脳梗塞と診断。

マネジャーによると、砂川さんは5月に肺にたまった水を抜くために入院。退院4日後の先月13日、連絡がつかないためマネジャーが自宅に行くと意識を失った状態で倒れていた。救急搬送された都内の病院で脳梗塞と診断され、再び入院。意識はすぐに戻ったが、今月11日に悪化し、息を引き取った。

引用:スポニチ

入院中はのぶ代さんもお見舞いされ、砂川さんの顔を見ると「啓介さん」「お父さん」と呼びかけ、テレビで相撲を観戦するなど、夫婦だけの時間を過ごすこともあったそうです。

砂川さんは「君より先には死ねない」と病と闘ってきましたが、7月11日に状態が悪化し死去されました。

その後のぶ代さんは、引き続き入所している老人ホームで過ごしていましたが、2024年9月に老衰で死去されました。

お読みいただきありがとうございました。

砂川啓介さん大山のぶ代さんの、ご冥福をお祈りいたします。


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