藤川晋之助の経歴!選挙の神様は議員秘書からの叩き上げ!

選挙プランナーの藤川晋之助さんを取り上げます。

藤川さんは、2025年2月にデヴィ夫人が立ち上げる新党『12平和党』で、選対委員長を務めると報じられました。

おばねこちゃん

「ワンニャンへいわとう」と読むのだそうよ!
気になりすぎる。。。

今回は、藤川晋之助さんの経歴について調査します!

スポンサーリンク
目次

藤川晋之助wikiプロフィール

初めに、藤川晋之助さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:藤川晋之助(ふじかわ しんのすけ)
  • 生年月日:1953年〈昭和28年〉10月31日
  • 年齢:71歳(2025年2月現在)
  • 出身地:大阪府大阪市
  • 学歴:国士舘大学

中学生の頃1969年の東大安田講堂事件が発生し、政治に目覚めました。

政治や思想、歴史の本を読みあさり、高校では友人たちと熱く議論し合ったといいます。

国士舘大学に進学し、高校生の時に日本学生同盟に入り政治運動に没頭。

卒業後には政治の道に進んでいきます。

藤川晋之助の経歴!選挙の神様は議員秘書からの叩き上げ!

藤川晋之助さんの経歴は、以下の通りです。

  • 山本幸雄衆議院議員秘書
  • 大阪市会議員に初当選
  • インドネシアで事業
  • 選挙プランナー
  • 藤川選挙戦略研究所

一つずつ見ていきましょう!

山本幸雄衆議院議員秘書

大学卒業後、23歳で自民党田中派の山本幸雄衆議院議員(後の自治大臣)秘書となりました。

子供のころからの夢であった政治の道に進みましたが「国家予算の分捕り合いと利益分配が中心の世界」と知り愕然としたといいます。

ですが、失望しながらも秘書の仕事に邁進。12年務め、地方議員や首長の選挙を支援しました。

そして、政治家を志すようになります。

大阪市会議員に初当選

37歳で、自民党から大阪市議に初当選。

ですが、小沢一郎氏から「各業界の利益代弁者である自民党では政治は変えられない。黒い塊かたまりの中にいた我々こそ改革できる」と言われて共鳴。

自民党を離党し、小沢氏の新生党に合流しました。

2期目は1996年、第41回衆議院議員総選挙で大阪6区から旧民主党公認で立候補しますが落選。

1998年には三重県名張市の市長選挙に立候補しましたが、現職の富永英輔に敗れ落選。

政治家の道を断念しました。

インドネシアで事業

その後、投資や事業の失敗で借金は1億8000万円に。山奥にこもり小説を書くなどしましたがどれも失敗。

ひと儲けしようと東南アジアを放浪し、インドネシアで事業を手掛けましたがアチェ紛争で帰国。

アチェ紛争

アチェ紛争はアチェ独立運動とも呼ばれる、インドネシアのスマトラ島北部アチェ州で、同国からの分離・独立をもとめるアチェ人の運動。

アチェは、かつて強力なスルタン国として栄え、オランダ植民地時代を経てインドネシアに統合。アチェは天然資源が豊富ですが、その利益が十分に還元されず、住民の不満が高まっていました。中央政府との関係は常に緊張していました。

アチェはイスラム教が強く、独自の文化や伝統を重視していました。中央政府の政策に対する不満も、独立運動の背景にありました。

1976年に、ハッサン・ディ・ティロが「自由アチェ運動 (GAM)」を設立し、独立を宣言

1990年代 – 2000年代に、 GAMとインドネシア政府の間で武力衝突が激化

2004年、スマトラ島沖地震と津波が発生し、アチェは甚大な被害に

2005年、国際社会の仲介により、GAMとインドネシア政府の間で和平合意が成立し、独立運動は終結しました

インドネシアと言えばデヴィ夫人。夫人は1962年にスカルノ大統領と結婚後、インドネシアで暮らしていましたが、1967年にスカルノ大統領が失脚し、政治情勢が不安定になったため、日本へ渡りました。

アチェ独立運動が激化していた時期は、デヴィ夫人は日本とフランスで生活していたと思われます。

藤川晋之助さんの事業の内容は公表されていませんが、インドネシアだったこともありデヴィ夫人とは、相通ずるところがあるのかもしれませんね。

選挙プランナー

帰国後、民主党に合流していた小沢に選挙の手伝いを要請され永田町に戻りました。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では、群馬4区の三宅雪子陣営に入り、比例復活当選。

盤石の地盤を持つ福田康夫元首相を相手に接戦に持ち込む立役者となりました。

また民主党のほか、みんなの党の選挙参謀も務めました。

さらには、2011年の大阪市長選挙では、橋下徹氏の選挙戦略を担当。橋下氏の当選に大きく貢献しています。

2012年には減税日本の選挙対策事務局長・東京本部事務局長・政策顧問に就任。

2017年からは東京維新の会(日本維新の会東京都総支部)の事務局長を務め、2022年に退職。

この間、当初0人だった東京での維新の国会議員を比例代表を含め5人へと躍進させました。

藤川選挙戦略研究所

2022年11月には、「藤川選挙戦略研究所」を設立。

「日本における有為な政治家を輩出し、国や地域に貢献できるような人材を発掘、育成しこれからの新しい資本主義の時代に対応できる技術や情報の提供と活動を行うと同時に、人と動物とが共存共栄することを推進することを目的」として設立されました。

現在は、政界の伏魔殿とも呼ばれる「パレロワイヤル永田町」に移転。

自民党の金丸信元副総裁や村上正邦元自民参院議員会長、ハマコー(浜田幸一元自民衆院議員)らの事務所があった場所です。

そして2025年2月には、デヴィ夫人が代表を務める『12平和党』の選対委員長に就任されました。

これまで裏方として携わった地方・国政含めた選挙の戦績は130勝16敗。

選挙プランナーとして豊富な経験と実績を持つ藤川晋之助さんは、今後も幅広い活動を展開していくことでしょう。

政治屋ではなく、政治家の育成を切に願います。

お読みいただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (2件)

コメントする

目次