南場智子の経歴!マッキンゼー出身のコンサルのプロ!

DeNA創業者・横浜DeNAベイスターズオーナーの南場智子さんを取り上げます。

2024年10月3日、プロ野球DeNAが悲願の日本一を達成したと報じられました。

おめでとうございます!

DeNAは日本を代表するIT企業で、2012年に横浜ベイスターズをTBSホールディングスから買収し、プロ野球に参入しました。

参入から12年で優勝を果たした素晴らしい功績ですが、IT企業だけにスピード感を持って球団改革を実行したといいます。

おばねこちゃん

いったいどんだけの経営者なの~
気になりすぎる!

今回は、DeNA創業者の南場智子さんの経歴について調査します!

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目次

南場智子wikiプロフィール

初めに、南場智子さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:南場智子(なんば ともこ)
  • 生年月日:1962年4月21日
  • 年齢:62歳(2024年11月現在)
  • 出身地:新潟県
  • 学歴:津田塾大学学芸学部英文学科

南場智子さんは新潟県で、 石油卸売業を経営する父親の次女として誕生。

父親は、「女に教育など必要ない」、授業なんて聞かなくてもいい、俺の言うことを聞いていればいいという考えの持ち主で、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」の父親小林亜星さんのような怖い存在だったと言います。

高校生まで門限が18時と決められ、父親にこれをやりなさいと言われたら、基本的に「はい」以外はありあえない世界で、幼いころから厳格な父の下に育てられました。

おばねこちゃん

ドラマみたいな世界ね。。。

そんな父親から離れたい一心で、大学は県外の大学を志望。

大学進学を伝えた際には「地元の新潟大学に行きなさい。東京の大学で独り暮らしする女性は100%不幸になる」と言われたとか。

そして家を出て行こうと父親に体当たりしたところ、巨漢の父親に跳ね飛ばされ流血騒ぎに。

ですが、母親と高校の先生の説得もあり、津田塾大学へ進学しました。

大学4年生の時には、成績1位の学生に与えられる奨学金で、姉妹校のブリンマー大学に1年間留学。

数学が得意で、経済学を専攻して高成績でもあったため、経済学者になる道も考えたそうです。

しかし、先輩の誘いをきっかけにマッキンゼーへ入社しました。

父親に反対されると思っていましたが、「大前研一で有名なマッキンゼーか。おめでとう、頑張んなさい」と言われたとか。

おばねこちゃん

この時始めて受け入れてくれたのかも。

気になる経歴を見ていきましょう!

南場智子の経歴!マッキンゼー出身のコンサルのプロ!

南場智子さんの経歴は、以下の通りです。

  • 1986年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社
  • 1990年、ハーバード・ビジネス・スクールにてMBAを取得
  • 1996年、マッキンゼーでパートナー(役員)に就任
  • 1999年、株式会社ディー・エヌ・エーを設立
  • 2003年 、 内閣IT戦略本部員に就任
  • 2011年 、癌療養中の夫の看病に力を注ぐため、ディー・エヌ・エー代表取締役兼CEO退任
  • 2015年、ディー・エヌ・エー取締役会長、横浜DeNAベイスターズオーナー
  • 2021年、経団連の副会長に就任

一つずつご紹介します。


マッキンゼー・アンド・カンパニー

留学後先輩からの誘いを受けて1986年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。

マッキンゼー・アンド・カンパニーは、1926年に設立されたアメリカの大手コンサルティング会社。

世界で最も入社が難しい企業と言われています。

かっこ良さそうと始めたお仕事ですが、現実は甘くなく退社は毎日夜中、3時4時だったと言います。

入社2年目で疲弊してしまい、MBA取得を口実にした留学のため退社をしました。

ハーバード・ビジネス・スクール

公言通り1990年には、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。

留学の2年間が楽だったと思えるほど、過酷な会社員時代でしたが、帰国後にはなんとマッキンゼーに復職します。

1996年、マッキンゼーでパートナー(役員)に就任

マッキンゼーへの復職の理由は、病気の母親が心配だったことと、自分へのわだかまりが残っていたので、自信を取り戻したかったことでした。

復職後は、大きなプロジェクトを任され、チームに助けてもらいながらプロジェクトは大成功。

「成功体験でしか、人は変われないし、成長できない」と実感。

この成功体験が、コンサルタント業を続けていく転機になりました。

おばねこちゃん

ホント、成功体験大事よね!

1996年、34歳の時にはコンサルタントの最高位の、パートナー(役員)に就任。

ですが、クライアントに提案していくうちに、自分でも挑戦したいという思いが溢れていきます。

マッキンゼーでの最後の3年間は、マルチメディア系新規事業のコンサルティングに主に関り、ITビジネスをリサーチ。

インターネットオークションビジネスに活路を見出し、起業するためにマッキンゼーを退社しました。

ディー・エヌ・エーを設立

1999年に株式会社ディー・エヌ・エーを設立。

「ビッダーズ」を立ち上げますが軌道に乗るまでに、「Yahoo!オークション」が本格始動してしまい、二番手となり出遅れてしまいました。

4年間も赤字が続きましたが、お客様が「オークションをしたいのではなく、ほしいものを探している」ことから、2002年ショッピングサイトへ転換。2003年には初めての黒字化を果たしました。

2005年には東京証券取引所マザーズ上場を果たしています。

そして市場をパソコンからモバイルへシフトチェンジし、同年「モバオク」を立ち上げ、今では日本最大規模のモバイル・オークション・サイトに成長。

同年に始めた「ポケットアフェリエイト」は、約60万のサイトと数千の広告主を結ぶ、ナンバーワンのモバイル広告ネットワークとして日本最大規模となっています。

2006年には株式会社モバコレを設立。

携帯電話専用ゲームサイト「モバゲータウン」(現・モバゲー)や、ショッピングモールサイト「au Shopping Mall」を開始。

2007年には、東京証券取引所市場第一部に指定替え。

2024年には売り上げ2000億円超の会社に成長しています。

おばねこちゃん

もはや日本を代表するIT企業ですね!

内閣IT戦略本部員

2003年には、内閣IT戦略本部員に就任されています。

国は2001年にIT基本法に基づき、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部を内閣に設置。

「我が国は、すべての国民が情報通信技術 (IT)を積極的に活用し、その恩恵を最大限に享受できる知識創発型社会の実現に向け、早急に革命的かつ現実的な対応を行わなければならない。市場原理に基づき民間が最大限に活力を発揮できる環境を整備し、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す。

引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%A0%B4%E6%99%BA%E5%AD%90

e-Japan2002プログラムとして、下記のような取り組みがなされたようです。

e-Japan2002プログラム

高速・超高速インターネットの普及の推進
世界最高水準の高度情報通信ネットワークの形成
高度情報通信ネットワークの安全性及び信頼性の確保
教育(機関)の情報化・人材育成の強化
教育及び学習の振興並びに人材の育成
ネットワークコンテンツの充実
電子政府・電子自治体の着実な推進
国際的な取組の強化

おばねこちゃん

ついに政府のお仕事まで!
素晴らしいですね。

ディー・エヌ・エーCEO退任

プライベートでは、マッキンゼー時代に知り合った夫と結婚。

お子さんはいないようですが、かわいいワンコさくらちゃんがいました。

ですが2011年4月に夫のがん宣告。

仕事一筋で、家事は一切やってこなかったといいますが、この時は何のためらいもなく夫を支えることを決意。

一部上場企業の社長で重責を担っている立場でありましたが、元々1年後の2012年には退任するとして後継者を育てていたこともあり、同年にはディー・エヌ・エーCEOを退任しました。

おばねこちゃん

家族のためのトップ交代は、あまりきいたことがないですが、「愛」につきるわね。

突然のトップ退任後も事業が成長しているのは、後継者を育てるなど組織作りの能力にもすぐれていたことがわかりますね。

ディー・エヌ・エー復帰・横浜DeNAベイスターズ

2015年にはディー・エヌ・エー取締役会長に就任し、横浜DeNAベイスターズオーナーとなりました。

ベイスターズの買収にあたり、南場智子さんは本業以外で派手に力を入れるものを持つことに対し、当初は「どうなの?」と思っていたとか。

ですが社長退任後に、経営にもグループにもプラスだと判断し買収するに至ったそうです。

そして、2016年1月には横浜スタジアムの運営会社を子会社化し、球団と球場の一体経営を実現。

また、2021年の東京五輪開催に合わせ、客席数を増設するなど球団改革を実行。

そのかいあって年々来場者数は増え、主催試合の観客動員数は2018年に初めて200万人を超え、今季は最多の235万8312人を記録しました。

プロ野球参入に関しては、インターネットの世界とは違った、生身のユーザーがいることで会社も少し成長したといいます。

おばねこちゃん

次々と目標を成し遂げた、日本を代表するIT企業へと導いた会長ですね。

経団連の副会長

2021年は、経団連の副会長に就任しました。

現在、世界の株式時価総額のランキング上位を見ると、日本企業の名はありません。

政府はこの現状を巻き返そうと、2022年をスタートアップ創出元年と位置付け、スタートアップ育成5か年計画を策定。2022年度第2次補正予算ではスタートアップ支援の関連経費として過去最高規模の約1兆円を計上しました。

経団連副会長に就任後は「スタートアップ躍進ビジョン」という政策提言をまとめるなど、活発な発信を続けています。

「メガベンチャーとスタートアップとの間では、人の流動性が高いのに比べ、伝統的な経団連企業との間には川が流れている。橋を架けるとか生ぬるいことじゃなく地続きにして、人が往来できることを実現したい。賃上げにもつながる!」と語っています。

DeNAのようなメガベンチャーとスタートアップとの間では、人の流動性が高いのだけれども、伝統的な経団連企業との間には川が流れている。これは、橋を架けるとか生ぬるいことじゃなくて、もう地続きにして、人が行ったり来たりするというのを本当に実現したらいい。これは賃上げにも絶対つながりますよ

引用:https://journal.meti.go.jp/p/26850/

おばねこちゃん

心強いお言葉ですね!
日本の成長が楽しみですね♪

お読みいただきありがとうございました。

今後の益々のご活躍をお祈りいたします。

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